大 企 業 は 崩 壊 す る
2013.09.28
【まえがき】

大企業サラリーマンを55歳で中途退職して、5年間が過ぎた。
退職後のこれまでは、IT関連の個人事業主として苦難な道を歩んできた。
創業当初に比べれば、少しだけだが明かりが見え始めてきた感もするが、まだまだ生計できるレベルには至っていない。
お付き合いする企業の社長さんは、30~40歳が殆どであり、私のような初老の新参者に仕事を回してくれる人は本当に稀だ。
若い社長さん達は皆様、本当にシッカリしている。
会社の運命を背負っているのだから、当然と言ってしまえばそれまでだが、それにしてもすばらしい方々ばかりだ。

大企業のサラリーマン時代に味わった体験を通して、これからの日本を予測するに、悲しいかな「大企業は崩壊する」との結論に至ってしまう。
これからの企業が生き延びるための「最優先課題」は何か?
当方が至った結論は、「メンバー自らが自分を変えられる」かどうかだ。
いろいろな悩みや失敗から這い上がってきた体験者の方々なら、もうお判りでしょう。
そう「人を変えようと思えば、自分を変えるしかない」からです。
そうした考えをメンバーの全員が持って、会社全体が動く企業でなければ、後退するだけだと考えます。

高度経済成長時代は大昔のお話です。
それなのに、大企業では旧態依然のやり方がまかり通っている。
だから、「大企業は崩壊する」のです。
何故そのように予測するに至ったのか、当方の経験に基づいて詳しい事例を挙げながら説明したいところですが、本サイトでは、ダイジェスト版としてその概要の掲載に留めたいと思います。

【概要】

先ずは、最近の日本人が育つ環境の変化について知っておく必要があろうかと思います。
太平洋戦争によって東京を始めとして日本の各地は焼け野原になってしまった。
多くの人はバラックに住み、何もない社会から、少しずつ高度成長期に向かうことができた。
では、現在はどうでしょう?

高度成長期が終了し、安定期を通り越して経済が低迷する時代に突入してしまいました。
では、現代の若者はどのような社会環境で育っているのでしょうか?
農業に例えれば、戦後直後の若者が「路地栽培」とすれば、現代の若者は「温湿度管理された温室」で育っているのではないでしょうか?

今から50年以上前、我々がまだ小学生の時は、田んぼや用水路などの危険な場所で遊んでいたものです。
雪合戦ならぬ泥合戦という遊びもあり、何かあれば直ぐに喧嘩が始まりました。
泥団子の中心に石コロを入れる子供もいました。
今から思うと、そんな野蛮な社会環境の中で育てられたので、大人になってからもチョットのことではヘコタレませんでした。
露地栽培の野菜が雨風を受けながら育つように大きくなりました。
水洗便所なんて無かったですから、肥溜(こえだめ)に溜まったし尿を大きな柄杓(ひしゃく)ですくって桶に移し、畑まで運んで肥料として撒いたものです。
物が無い時代だったので、無い物は自分で作るしかないので、ブリキ板の半田付けから、木工製作も教えられました。
昔の小中学校の目的は「将来、大企業に入る」ことではなく「大人になった時に役立つ知識や技術を教える」場だったと振り返ります。
田植えの機械もない時代ですから、田植えは近所の人をかき集めた人海戦術でした。
高度成長期を迎えられた背景には、このような時代に育まれた「ものづくり技術」と「良い人間関係」があったと考えます。

さて、現代の子供達が育つ社会環境はどうでしょうか?
子供達の周辺には、何でも揃ってます。
だから、自分達で物を作る必要性も無く、田植えも機械がやってくれるので人海戦術のための人間関係は必要なくなりました。
小中学校の目的も「将来、大企業に入るために、少しでも有名な大学には入る」ことに変わってしまいました。 単なる受験勉強になってしまいました。
「ものづくり技術」と「良い人間関係」が無く、しかも「温湿度調節された温室育ち」では、企業の戦力として機能する筈がありません。

企業には解決しなければならない問題が山積みされています。
それらを解決するためにも、露地栽培育ちのたくましさ、しかも「ものづくり技術」と「良い人間関係」がどうしても必要です。
受験勉強と問題解決能力との相関性は全くゼロではないでしょうが、受験勉強では「良い人間関係」を構築するための「人間性」は備わりません。
企業側の採用担当者は、人選に時間や工数が限られているから、どうしても「有名校が無難」という判断ではないでしょうか?
でも、そうして採用された受験勉強だけが得意な社員は、人間関係で「うつ病」になってしまうケースが増えているようです。
社会全体の中に「露地栽培、ものづくり技術、良い人間関係」が共通して備わっている環境の中で、「受験勉強が得意」という人材を採用するのであれば良いのでしょうが、悲しいかなそのような環境が備わっていない中では、「受験勉強が得意」というだけの人材では企業が抱える問題解決の戦力にはならず、逆にこれからお話する「負の戦力を増やす」ことに繋がってしまうと考えます。

前置きはこの辺にして本題に入りますが、大企業は「社長(または会長)」をトップとしたピラミッド型組織で構成されているのが一般的です。
効率的に仕事を遂行するためには、どうしてもこのようなピラミッド型組織が必要になります。
社長(または会長)の考えが次々と下部組織に伝達されて、具体的な指示や行動に具現化されて、末端組織での「仕事または業務」として実行されます。
末端組織での代表的な仕事または業務としては、製造現場での作業、販売店での顧客への販売、故障品の修理、伝票処理業務、製品設計業務、部品購入業務、製品の品質保証検査業務など、挙げればキリがありません。
社長(または会長)の考えは、下部組織に伝達される過程で次第に具体性が増して、最終的には末端組織での「命令または指示」が生み出されます。
それぞれの組織が上部組織からの「命令または指示」をより具体的なものに置き換えて下部組織に「命令または指示」することになります。

通常業務では、上部組織からの「命令または指示」は、日常的な処理によってより具現化された「命令または指示」として下部組織に伝達されます。
高度成長期は、これで良かったのです。
でも、経済が低迷する現代においては、より革新的で具体的な「命令または指示」に変換して下部組織に伝達する必要があります。
そうしないと、企業間競争に負けてしまうからです。
より革新的で具体的な「命令または指示」に変換できたとしても、その内容では「下部組織が動いてくれない」という大きな問題が発生します。
「露地栽培育ちのたくましさ」が欠如し「人間関係の経験」が足りない社員は、この問題に直面すると、精神的なダメージを受けて「うつ病」から立ち直ることができなくなってしまいます。
それから、大企業社員の一番の関心事は出世です。
最近では「出世」よりも「ぶら下がり」を決め込んでいる人も増えてます。
出世の近道は「上司に気に入ってもらう」ことです。
そして、自分が他の人よりも如何に優れているかをアッピールしなければなりません。
そこで生まれるのが「評論家」です。
自分のことはさて置いて、「人の欠点を批判する技術」に長けていなければ出世はできません。
「政治は世の中の縮図」と言われることがありますが、最近の政治は、正にそのものです。
サラリーマンなら「会社発展」、政治家なら「社会発展」というお面を被っているものの、本心は違います。
その辺の気持ちが「人生のどん底」を知っている人とは大きく異なると思います。
終戦後、満州などからの引揚者が、その後いろいろな分野で活躍されました。
「人生のどん底」を知っているからこそ成し得ることができたのではないでしょうか?
「ピラミッド型組織」の問題を挙げましたが、「文鎮(ブンチン)型組織」のほうがベターだと言う方がいますが、各組織のメンバーが1人の「文鎮型組織」なら上述の問題は起こり難いでしょうが、各組織のメンバーが複数人で構成される「文鎮型組織」ではやはり「ピラミッド型組織」と同様な問題が発生します。

では、これらの問題はどのようにすれば解決できるのでしょうか?
話はチョット逸れますが、デール・カーネギー著「人を動かす」(創元社)という著書があり、その本の結論は「人を変えようと思えば、自分を変えるしかない」というものです。
下部組織が動かないと思うのは、「下部組織を変えよう」としたからですが、組織は「人」で構成されているので、下部組織が動かない原因は「人」にあると考えます。
そうならば、自分達の組織自体が変わって、何とか実現する方法を探って実践に向けての方策を実施する。
このような考え方は、従来のピラミッド型組織では、決して許されなかったし、リーダーは失格の烙印を押されたものです。
膠着した組織を維持することが管理者の務めではなく、企業発展に向けて臨機応変に対応する方策があるのであれば、それを実践できるように組織の壁を越えて調整することが本当の管理者の役割だと思います。
「人を変えようと思えば、自分を変えるしかない」を組織版として発展活用することが求められていると思いますが、その根底となるのは、やはり個人レベルでの「人を変えようと思えば、自分を変えるしかない」と考えます。
貴社の場合はどうでしょうか?
会社のトップの考え方次第で大きく異なるかと思いますが、、、。